Naka Time and Space

時間と空間に関連する諸々を書きます

フィクションと空間

今回はフィクションと空間というテーマで考えていることを書いていこうと思います。

フィクションがもう一つの居場所

自分にとってフィクションは、心の空間の拡張、現実以外のもう一つの居場所です。現実世界で悩んだり、息苦しさを感じた際に、マンガを読んだり、アニメを見たり、小説を読むことでフィクションの世界に浸り、その瞬間は現実世界のことを忘れることができます。

こうした心の逃避先が存在することはレジリエンスの向上につながります。

これまで、浪人期や就活などで苦しい時期を経験してきましたが、そのたびにフィクションの存在が自分の心に安定をもたらしてくれていたように思います。

浪人期には、『こち亀』、村上春樹さんの『海辺のカフカ』を読んでいました。『こち亀』は、両津さんの破天荒な生き様が浪人期に受験勉強ばかりの毎日で息苦しさを感じていた自身の心の解放の代替となってくれていました。『海辺のカフカ』は、一人で強く生きることを決意した主人公の物語が、浪人期予備校で誰とも会話をせず、そのことでわずかばかり不安を感じていた自分に勇気を与えてくれました。

就活期は、とにかくアニメ、ドラマ、マンガ、小説といった様々な物語を渡り歩きました。そのときは、コンテンツそれ自体から影響を受けることよりも、「物語の世界に浸る」経験それ自体が、確かなリアリティをもつものであると考えるようになっていました。就活はあまりうまくいかなくて、悩んだときもありましたが、自分が生きる現実以外の居場所としてフィクションの世界がリアルになっていたことで、悩みを相対化することができるようになりました。

抽象化

上では、様々なコンテンツによって構成されるフィクションの世界がもう一つの居場所、空間を与えてくれるのではないかということを述べました。

大学時代の途中あたりからは、上のようにいわば空間を仮想的に拡張するという考え方を抽象化し、ノンフィクションにも適用できるのではないかと思うようになりました。

どういうことかといいますと、自分は次のようなことを考えています。

人間は歴史の中で、哲学、物理学、社会学等様々な学問分野を発達させてきました。私たちは、そうした学問分野から様々なことを学ぶことができます。何かを学んだ際には、この世界に関する新たな視点を獲得することができます。哲学において、物事を相対化することや、基礎付けることなど抽象的な物の考え方を身につけたり、物理学を学ぶことで目に見える世界が数式で記述できることを知ったり、社会学では、マクロやミクロな視点からの観察によって人間の新たな一面を発見できたりします。

こうして世界に関する認識をアップデートすることで、昨日まで生きていた現実と今日生きている現実が全く違った見え方をすることや、同じ現実の見え方がより豊かになったりすることがあります。自分は、こうして現実世界の見方を変化させていくこともある意味では仮想的な空間の拡張と言えるのではないかなと考えています。

空間の拡張が余裕につながる

自分が生きている世界のみが絶対的なものだと思ってしまうと、そこでうまくいかないことがあった場合、どこにも行き場がなく辛くなってしまいます。

しかし、上のように仮想的に世界を広げることができれば、そこに行くことで辛さから逃れることができます。

こうしてオプションを複数持っておくことは、心の余裕につながり、翻ってまさに身体で生きている世界における様々な局面の振る舞いも違ったものになってくるはずです。

現代では、幸い容易に様々なコンテンツを享受することができるので、物語や学ぶことが不足することはなかなかなさそうです。これからも物語の世界に浸ったり、多くのことを学ぶことで心的空間を構築していき余裕のある生を送っていきたいです。